きもの美 Hiro
2010年06月29日(Tue) 01時17分
ロータリークラブウォールストリートで着物のスピーチをしました。スピーチをしたのは、6/16で、もう、10日以上も経つのですね。
その6/16は、150年前、日本から遣米使節団がニューヨークに初めて来た節目の150年を記念する日でした。その日を、ブルンバーグニューヨーク市長が日本の日として、エンパイヤの灯りが日本の国旗に彩られました。
そんな記念すべき日に、ニューヨークのロータリークラブウォールストリートで着物のスピーチをする機会に恵まれ、偶然のこととは言え、大変光栄に思いました。
先週、クラブから記念の盾が贈られてきました。黄金の色の箱に入っていて、箱を開いたら丁寧に紙に包んでありました(写真)。そして、手紙もそえられていました。
スピーチ当日は、いつもとは違った指向とのことで、会場にワインにチーズと言う組合わせが置かれるとのことでしたが、それに加えて、会場に巻き寿司と日本のビールもおいてくれました。会場は小さなところでしたが、満席で立ち見が出るほどにスピーチを聞きにお越しになってくれました。
スピーチ内容は、着物の歴史・変遷、今の着物の現状と、着物産業の問題点、今後への課題と、私が世界へと向けて着物をNYから発信していきたいと思った理由。47枚のスライドでお話しさせていただきました。
今回、このようなスピーチをする機会に原稿をつくり、着物は世界へと発信していくべきだと強く思いました。でも、同時にそこには大変に難しい大きな壁があることも痛感しました。
英語での30分近いスピーチは大変でしたが、スピーチが終わった時に拍手をいただき、その後にもいろいろ質問をいただき皆様の関心が深まったこと、着物の素晴らしさや気持ちが伝わったことが何よりも嬉しかったです。
次世代へと継げる物が作り続けられるように、世界を巻き込まないといけないと思っています。一人では何も出来ないことですが、でも、はじめの一歩がないと何も始まらないとも思いました。
ロータリークラブウォールストリートにはクラブに所属している現地アメリカで活躍している方たちがお越しになってくれました。アメリカ人からヨーロッパ、アフリカの方たち多くいました。そして、その中に一人日本人の方がいて(その方が今回の件をお声をかけてくれました)私のスピーチに、「着物の歴史がこんなに深いとは思わなかった、もっと着物のことを知りたいと思いました」と、お手紙をいただきました。
反響は思うほどには直ぐには表れるものでもありませんが、大きな一歩を踏み出したと思います。
そして、会場の皆様の反応に、着物は、世界のファッションとしても発信できる無限の可能性を秘めていると確信しました。
その6/16は、150年前、日本から遣米使節団がニューヨークに初めて来た節目の150年を記念する日でした。その日を、ブルンバーグニューヨーク市長が日本の日として、エンパイヤの灯りが日本の国旗に彩られました。
そんな記念すべき日に、ニューヨークのロータリークラブウォールストリートで着物のスピーチをする機会に恵まれ、偶然のこととは言え、大変光栄に思いました。
先週、クラブから記念の盾が贈られてきました。黄金の色の箱に入っていて、箱を開いたら丁寧に紙に包んでありました(写真)。そして、手紙もそえられていました。
スピーチ当日は、いつもとは違った指向とのことで、会場にワインにチーズと言う組合わせが置かれるとのことでしたが、それに加えて、会場に巻き寿司と日本のビールもおいてくれました。会場は小さなところでしたが、満席で立ち見が出るほどにスピーチを聞きにお越しになってくれました。
スピーチ内容は、着物の歴史・変遷、今の着物の現状と、着物産業の問題点、今後への課題と、私が世界へと向けて着物をNYから発信していきたいと思った理由。47枚のスライドでお話しさせていただきました。
今回、このようなスピーチをする機会に原稿をつくり、着物は世界へと発信していくべきだと強く思いました。でも、同時にそこには大変に難しい大きな壁があることも痛感しました。
英語での30分近いスピーチは大変でしたが、スピーチが終わった時に拍手をいただき、その後にもいろいろ質問をいただき皆様の関心が深まったこと、着物の素晴らしさや気持ちが伝わったことが何よりも嬉しかったです。
次世代へと継げる物が作り続けられるように、世界を巻き込まないといけないと思っています。一人では何も出来ないことですが、でも、はじめの一歩がないと何も始まらないとも思いました。
ロータリークラブウォールストリートにはクラブに所属している現地アメリカで活躍している方たちがお越しになってくれました。アメリカ人からヨーロッパ、アフリカの方たち多くいました。そして、その中に一人日本人の方がいて(その方が今回の件をお声をかけてくれました)私のスピーチに、「着物の歴史がこんなに深いとは思わなかった、もっと着物のことを知りたいと思いました」と、お手紙をいただきました。
反響は思うほどには直ぐには表れるものでもありませんが、大きな一歩を踏み出したと思います。
そして、会場の皆様の反応に、着物は、世界のファッションとしても発信できる無限の可能性を秘めていると確信しました。
2010年06月08日(Tue) 11時20分
そこで、150年前に遣米使節団の77人のサムライがニューヨークを行進したとのことで、それを再現するパレードが行われました。
サムライパレードは、正使・副使・目付のメインの3人を先頭に、鍋島藩大名行列推進委員会の野中理事長が率いる50名のサムライがセントラルパークを練り歩くと言うものでした。
時代考証では、ニューヨークシティーミュージーアムに保管されている資料のコピーですが、見させていただく機会に恵まれました。
150年前のお侍さんは、とても派手な袴を着ていました。そして、身分が高い人ほど、白い衿と白い雪駄・・・3人の正使・副使・目付は、やはり白色でした。
写真は、ニューヨークシティーミュージーアムで資料閲覧させてくれたKathleenさんとご一緒に。Kathleenさんありがとうございました。
今回、鍋島藩大名行列推進委員会の野中理事長が率いる50名のサムライの着付けを担当してくれたのが、私の着付け教室の生徒さんたち7名です。
6/6、Japan Day当日、雨の予報にもかかわらず、晴天でした。
私の着付け教室に通ってくれている、美容師の泉水さんが、私が担当する正使・副使・目付のヘアセットをしてくれました。そして、私のアシスタントとして、着付け教室の生徒さんの一人が当日大変に助けてくれました。
アシスタントをしてくれた生徒さんが「袴が派手なのですね」と言うので、そこがポイントであることもお話をしました。
今回のお侍さんの着付けでのポイント、武士の決まりである刀を2本差しするため、角帯は3回りすること、そして、今馴染みである白黒のストライプの袴は、150年前にはそうした決まりの柄が着用されることはなく、とても柄や色彩豊かな派手な袴を着ていたこと。そして、中級~下級武士は、脚絆(黒色)を着用していたのですが、高い位の武士は、白の鼻緒の雪駄、白衿でした。
しかし、今では刀を2本差しすることが想定されていないのか・・・角帯が3回り出来ませんでした。それとも、帯の長さは変わらないけど、昔の人が痩せていたのかなって思いました。
もっといろいろ考察ポイントを上げたいのですが、それは改めて詳しく書こうと思います。
生徒様たちとご一緒出来たイベント、本当に楽しかったです。
当日の50名のサムライパレードの着付けをしている様子です。
50名のサムライパレードを担当してくれた7名の生徒さんたち
当日アシスタントして、私を助けてくれた生徒さんです。西宮大使が足袋をはくところの写真です。
こちらの本が大変に参考になりました。当時の御三方の凛々しさ、NYの地で再現出来たこと、嬉しかったです。
ご協力してくださいました生徒さんたちお疲れ様でした。心からありがとうございました。
ご一緒出来て、とても楽しかったです。
2010年05月16日(Sun) 02時01分
4月から5月にかけて作品撮りの撮影が続きました。
ご一緒したフォトグラファーさんが、表現したい方向が皆様違っていたので、その都度いろんな発見や、これからの課題、そして、自分の表現についての挑戦したいことの焦点も定まっていくものでした。
作品撮りの撮影を重ねる度に、まだまだ入り口にいるような錯覚に見回れます。
まだまだ出し切れないほどの、着物の強さに自分の表現したいことが追いついていない感覚です。
伝統が折り重なった今に通じる濾された洗練さが凝縮して、そして、人が着てこそ成り得る世界観が、空間と調和して作られ、着物の表現がさらに広がっていきます。そこに、自分らしいスタイリングの表現を出していくことに、高い垣根を感じることがあります。
「着物だけで、ドラマがあるから」と、アフリカンアメリカのフォトグラファーさんに言われて、何度も話し合いながら、写真を撮っていきました。
「着物」には「ドラマ」が存在している、まさにそうだと思いました。
とても冷静で魅力的な方でした。
ヘアアーティストやスタッフの方たち、とても素適な方たちでした。また、近いうちにご一緒に。。。
2010年05月15日(Sat) 02時06分
プロムに参加する高校生から、「着物を着て行くことが夢」と、電話やメールで問い合わせがありました。フィラデルフィアからでした。
御母様からもメールをいただき、正式にご依頼を受ける形になりました。
ニューヨークシティーから急行のアムトラックで1時間10分のところ、普通電車では2時間30分ほどかかるところにフィラデルフィアがあります。
フィラデルフィアの駅に到着すると、駅のホームで高校生の御母様と、ご本人の高校生が「Hiro」と掲げた大きな紙を胸元に持っていて、団体旅行をしたときのことを思い出してしまいました。
その高校生の女の子は、日本のアニメがきっかけで、日本にとても興味がわき、日本語教室に通い、テレビも日本の番組と歌しか聞かないと話していました。
将来は、日本で働きたいと話してくれて、その溢れるほどの日本への熱い思いがありました。
家に着くと、高校生の祖母や御父様もいらっしゃって、そして、彼女の日本語の先生まで見学にいらっしゃっていました。
彼女に日本語を教えている先生は、日本人の方でした。「ニューヨークから着付けをする人を呼ぶと言う発想が浮かぶことに、私は驚いたの」と日本語の先生は私に話してくれました。
ニューヨークシティーとフィラデルフィアは距離にして東京と名古屋ぐらい・・・、私が高校生の時に、卒業式パーティーに出席するのに、着ていくドレスや着物をスタイリングしてくれる方を遠方から呼ぶと言う発想は、確かに、それさえも浮かばないことだったかもしれません。
着付けと言う仕事がアメリカ人の高校生の「着物を着てプロムに行くことが夢」へと形にしていける橋渡しになったこと、素適なことだと、仕事を終えて思いました。
彼女からビーズを付けて欲しいと言われて、帯揚げの上につけてみました。彼女のイメージするスタイリングをしていくこともとても楽しかったです。
御母様が、「娘の願いを叶えてくれてありがとう。Hiroは着物のスタイリングを現代的にも スタンダードな古典も両方できるのね」と言ってくれて、その一言が嬉しくて、その時期、法人設立の手続きをしていたところだったので、社名を「Mode & Classic」に決めました。
アメリカの高校生の夢を形にしたときに浮かんだ社名、私も、夢を形にしていこうと、その決意や想いが漲った瞬間に感じました。
*写真は大量のビーズの登場で、どのようにスタイリングしようかと考えているところです。
御母様からもメールをいただき、正式にご依頼を受ける形になりました。
ニューヨークシティーから急行のアムトラックで1時間10分のところ、普通電車では2時間30分ほどかかるところにフィラデルフィアがあります。
フィラデルフィアの駅に到着すると、駅のホームで高校生の御母様と、ご本人の高校生が「Hiro」と掲げた大きな紙を胸元に持っていて、団体旅行をしたときのことを思い出してしまいました。
その高校生の女の子は、日本のアニメがきっかけで、日本にとても興味がわき、日本語教室に通い、テレビも日本の番組と歌しか聞かないと話していました。
将来は、日本で働きたいと話してくれて、その溢れるほどの日本への熱い思いがありました。
家に着くと、高校生の祖母や御父様もいらっしゃって、そして、彼女の日本語の先生まで見学にいらっしゃっていました。
彼女に日本語を教えている先生は、日本人の方でした。「ニューヨークから着付けをする人を呼ぶと言う発想が浮かぶことに、私は驚いたの」と日本語の先生は私に話してくれました。
ニューヨークシティーとフィラデルフィアは距離にして東京と名古屋ぐらい・・・、私が高校生の時に、卒業式パーティーに出席するのに、着ていくドレスや着物をスタイリングしてくれる方を遠方から呼ぶと言う発想は、確かに、それさえも浮かばないことだったかもしれません。
着付けと言う仕事がアメリカ人の高校生の「着物を着てプロムに行くことが夢」へと形にしていける橋渡しになったこと、素適なことだと、仕事を終えて思いました。
彼女からビーズを付けて欲しいと言われて、帯揚げの上につけてみました。彼女のイメージするスタイリングをしていくこともとても楽しかったです。
御母様が、「娘の願いを叶えてくれてありがとう。Hiroは着物のスタイリングを現代的にも スタンダードな古典も両方できるのね」と言ってくれて、その一言が嬉しくて、その時期、法人設立の手続きをしていたところだったので、社名を「Mode & Classic」に決めました。
アメリカの高校生の夢を形にしたときに浮かんだ社名、私も、夢を形にしていこうと、その決意や想いが漲った瞬間に感じました。
*写真は大量のビーズの登場で、どのようにスタイリングしようかと考えているところです。
2010年04月22日(Thu) 04時44分
最近、スタイリストとしての撮影がつづいていました。
でも、昨日は、私が撮影をされる側になるご依頼があり、それも動画のビデオ撮影で、着付教室の様子と着物の紹介と、そして、インタビュー・・・。
インタビューは大変苦手で、私の声が小さいみたいで、「もっと大きな声で隣の部屋に聞こえるような声を出して」と、何度もやり直し・・・。
そして、インタビュー内容もアメリカ人の方からの質問は余にも漠然としていて、「着物とは何ですか?」って聞かれると・・・一言で言う具体的な言葉が浮かばないものですね。
着物の紹介も、一着の着物そのものに、歴史・風土と膨大な文化的背景が含まれているから、短い表現で言葉に表すことが、あまりにももったいなく思う不思議な感じがしました。
私は、日本にいた時に京都の観世流シテ方の能役者の先生から、能のお稽古をいただいておりましたが、先生が「今に通じる京友禅の発展は、600年前から能役者の生き血を吸った美しさの結晶でもある」という素適なお話しをしてくれたことがありました。
京友禅一つにしても語り尽くせないほどに奥が深く、そのもの着物を短い時間の中で表現することの難しさ、インタビューという形で着物を伝えることの難しさを今回痛感しました。
着物スタイリストとして撮影をする側でしたが、撮影を受ける側にたって、ニューヨークで「着物」を伝えていくことへの課題が沢山できたインタビューでした。
こちらの写真は、ビデオ撮影を終えて、撮影をご一緒した皆様と記念に。
でも、昨日は、私が撮影をされる側になるご依頼があり、それも動画のビデオ撮影で、着付教室の様子と着物の紹介と、そして、インタビュー・・・。
インタビューは大変苦手で、私の声が小さいみたいで、「もっと大きな声で隣の部屋に聞こえるような声を出して」と、何度もやり直し・・・。
そして、インタビュー内容もアメリカ人の方からの質問は余にも漠然としていて、「着物とは何ですか?」って聞かれると・・・一言で言う具体的な言葉が浮かばないものですね。
着物の紹介も、一着の着物そのものに、歴史・風土と膨大な文化的背景が含まれているから、短い表現で言葉に表すことが、あまりにももったいなく思う不思議な感じがしました。
私は、日本にいた時に京都の観世流シテ方の能役者の先生から、能のお稽古をいただいておりましたが、先生が「今に通じる京友禅の発展は、600年前から能役者の生き血を吸った美しさの結晶でもある」という素適なお話しをしてくれたことがありました。
京友禅一つにしても語り尽くせないほどに奥が深く、そのもの着物を短い時間の中で表現することの難しさ、インタビューという形で着物を伝えることの難しさを今回痛感しました。
着物スタイリストとして撮影をする側でしたが、撮影を受ける側にたって、ニューヨークで「着物」を伝えていくことへの課題が沢山できたインタビューでした。
こちらの写真は、ビデオ撮影を終えて、撮影をご一緒した皆様と記念に。







