きもの美 Hiro
2009年08月11日(Tue) 00時12分
近所の花屋さんで買ってきました。蘭にもいっぱい種類があるのですね。詳しくは分からないのですが、この蘭はとても丈夫で、2週間に一度しか水を与えなくていいみたいです。フラワーアレンジメントしている方からご指導いただきました。
昨日、一昨日と悩んでいたこと。男の方の角帯、女の方の浴衣などで半幅帯などで結ぶ「貝の口」の結び方。
(貝の口は、江戸時代の町人、商人の帯結びです)
駒込和装学院の教科書を再度読み直していたら、貝の口の結びが、て先が背中心から左に出ていて「男結び」と書いてありました。他の本、別冊家庭画報「男のきもの着こなし入門」指導・笹島寿美先生や、「銀座もとじの男のきもの」監修・泉二弘明などでは、手先が背中心から右に出ていました。
「貝の口」と「男結び」は違うのだろうか?・・・ネットで調べると、貝の口の結びで男女の違いを、「手先を半分に折るのが男で、手先を半分に折らないのが女」と載っていました(でも男女とも背中心から手先が右に出ていました)。
「きもの用語大辞典」装道きもの学院編によると、「男帯の結び方、貝の口3種」と絵が載っていて手先が左側に出ており、手先の半分に折った輪が上になっていました。
本によってもいろいろで、小さな疑問がどんどん深みにはまりそうになったので、駒込和装学院の先生に聞いてみました。教科書での、背中心から手先が左に出ているように載っている絵図は、本人が前で結んだ状態で、それを後ろに持ってくると背中心の右に手先が出るようになっているそうです。教科書の絵図からではそこまで読み取ることが出来なくて、聞いて良かったと思いました。
こんな小さな疑問にも丁寧に答えてくれた先生に大変感謝いたしました。
不思議で、日本では疑問に思わないでいたこと、きっと、貝の口の帯結び一つにしても、日本舞踊のお稽古場などに行けば見慣れた風景だったのでしょう。こちらニューヨークでの生活が1年過ぎると、とても小さなことでも、疑問に思うと解答を探そうとしてしまいます。本当は、こういうことに解答を求めないでいるほうが自然なのかもしれないのですね。
2ヶ月前に駒込和装学院の連鎖教室として継続の手続きをとりました。
そして海外での着付け教室の運営について、駒込和装学院からご指導をいただきました。
指導いただいた内容を、着付け教室のカリキュラムに反映し、先週の土曜日にホームページを更新しました。
今でも、先生方たちに沢山のご指導をいただき、とても嬉しく思います。
そして、このような小さな疑問にも丁寧に返答いただけて、私もそのお気持ちを失わないようにしていたいと思いました。帯結び「貝の口」一つにしても・・・ニューヨークの生徒様に伝えられること私で出来る限りのことしていきたいと思いました。
教室のホームページhttp://www.kimonohiro.com/main.html
2009年07月31日(Fri) 08時02分
私が東京で日本舞踊のお稽古を頂いた西川箕乃助先生は、西川流の宗家十世西川扇蔵の長男です。箕乃助先生から五耀会の案内が来ていました
ニューヨークにいると、映画の影響もあり「日本舞踊=芸者」とする向きを感じますが、それは一つの解釈にしかすぎなくて、日本舞踊は、現在およそ200を越える流派が存在すると言われ、その中でも「五大流派」は、花柳、藤間、若柳、西川、板東、と言われています。
それだけあれば、そして歴史の長さからしても、いろんな解釈がされてしまうのも頷けます。
そして、五大流派各々にも特徴的な解釈があります。箕乃助先生が言うには、「藤間、西川は歌舞伎の所作だからとても大胆、花柳は御座敷芸だから繊細な細やかさ」
母に言われたこと「花柳の門をくぐりなさい」と、でも私は歌舞伎に没頭してしまい学術的にですが、どちらかというと、歌舞伎の物語を感じることが出来るような舞踊、板東や西川流の舞踊を見るのが大好きでした。自身が舞うのは実は苦手でした。小さい時に、(流派は控えますが)日本舞踊のお稽古に通いはじめ、どうにも「クネクネした感じ」が私はダメで自身の姿に可笑しくなってしまい・・・お稽古にまじめに通いませんでした。
どちらかというと、後々にヒョンなことで出会った能のお稽古の方がとても楽しかったです。お腹の底から声を出す一声目の緊張感が大好きでした。
紆余曲折しつつ、西川箕乃助先生にお稽古をいただき、日本舞踊を「舞う」「踊る」とは違って、お稽古中、物語の主人公になりきった感じでした。「宝船」を踊るときは、扇子をお腹の前にそえて、足を蟹股に広げて腰をズッシリ下ろし、電車の中で見かけるサラリーマンの中年のおじさんの垂れ下がったお腹が私の目の前に現れ扇子で支えるような所作をしつつ「布袋」を演じます。もう、面白くて、面白くて!少々細身である私が「おじさん」になってしまった気分です。扇子一つで、そして所作で、「舞台の向こう側にいるお客様は、私を布袋さんに見えるのかな?」って・・・。右足ドッシリ身体を傾け、左足に全体重ドッシリ踏み込み・・・布袋さんに成りきります。
その「日本舞踊」についてですが、・・・一言では、ここでは書ききれないのですが、
日本舞踊協会のページによると、
先行芸能である「舞楽」「能楽」の要素は勿論、様々な民俗芸能のエッセンスが、洗練された形で含まれており、古代から現代に至る日本の芸能の集大成とも言えるものです。
日本舞踊は、400年近い歴史を経て、現在では、歌舞伎を母体とするいわゆる歌舞伎舞踊、
座敷舞の伝統を持つ上方舞や京舞、新しい創造を目指す創作舞踊など様々な顔を持っています。
しかし歴史的にその発祥から現代までの少なくとも400年の歳月の中で、それを更に300年を遡る時代に存在した<能>を始めとする先行芸能の技法を継承し、これに新しい時代に工夫された技法を加えて洗練を重ねて大成されたのが日本舞踊です。
これを要約して言えば「日本舞踊」とは、その大成以前から伝承された古典技法を基礎とし、舞台で表現される芸術舞踊ということになる。
と、あります。
この説明書きを読むと、今改めて、箕乃助先生の日本舞踊のお稽古に能のお稽古が自分の中で合わさり、楽しさの相乗効果があったと思いました。
そして、今回、西川箕乃助先生からメールが届き、「五耀会」の案内が来ていました。
箕乃助先生からのメッセージです。
「さて、私と40代の日本舞踊家4人で五耀会という同人の会を立ち上げました。
習い事としてだけでなく、鑑賞する舞台芸術としての日本舞踊を少しでも認知していただきたいという強い願いのもと会を立ち上げました。」
と、書いてありました。
本当に、箕乃助先生の踊る世界は、「舞う」と言うより、物語が手にとるように感じる舞台芸術です。
こんな言い方をしたら歌舞伎に失礼ですが、もし、歌舞伎の上演時間が長く感じ、強いては台詞が少々長く感じたと言う人がいらっしゃったら、テンポのある日本舞踊で、物語を感じてみてください。そこからまた、同じ演目の歌舞伎を見るのも面白いものです。
同じ題材で、歌舞伎での表現と、日本舞踊での表現を比較するのも大変に面白いです。
私がThe New York Timesという新聞に着物のことで今年の4月に載ったときも(記事;Wrestling the Silk)、恐れ多いと思いつつ箕乃助先生にお知らせしたところ、「素晴らしい!」と一番に言ってくださいました。
とても嬉しかったです。
箕乃助先生にお稽古をいただいていなければ、今の私も違っていたかと思いました。
五耀会、ご興味のある方は、こちらまでお越しくださいね。
この説明書きを読むと、今改めて、箕乃助先生の日本舞踊のお稽古に能のお稽古が自分の中で合わさり、楽しさの相乗効果があったと思いました。
そして、今回、西川箕乃助先生からメールが届き、「五耀会」の案内が来ていました。
箕乃助先生からのメッセージです。
「さて、私と40代の日本舞踊家4人で五耀会という同人の会を立ち上げました。
習い事としてだけでなく、鑑賞する舞台芸術としての日本舞踊を少しでも認知していただきたいという強い願いのもと会を立ち上げました。」
と、書いてありました。
本当に、箕乃助先生の踊る世界は、「舞う」と言うより、物語が手にとるように感じる舞台芸術です。
こんな言い方をしたら歌舞伎に失礼ですが、もし、歌舞伎の上演時間が長く感じ、強いては台詞が少々長く感じたと言う人がいらっしゃったら、テンポのある日本舞踊で、物語を感じてみてください。そこからまた、同じ演目の歌舞伎を見るのも面白いものです。
同じ題材で、歌舞伎での表現と、日本舞踊での表現を比較するのも大変に面白いです。
私がThe New York Timesという新聞に着物のことで今年の4月に載ったときも(記事;Wrestling the Silk)、恐れ多いと思いつつ箕乃助先生にお知らせしたところ、「素晴らしい!」と一番に言ってくださいました。
とても嬉しかったです。
箕乃助先生にお稽古をいただいていなければ、今の私も違っていたかと思いました。
五耀会、ご興味のある方は、こちらまでお越しくださいね。
2009年07月19日(Sun) 07時45分

先週の日曜日、滞在先のスペインからニューヨークに戻ると突然、ハリウッド映画に70本出演している俳優であり歌手でもあるDanny Aielloのミュージックビデオ撮影で着物スタイリストとコーディネートをしてほしいとの依頼が入ってきました。Danny Aielloと言えば、私の大好きな映画「Dinner Rush」に出演している素晴らしい名脇役のハリウッド大物俳優。ゴッドファーザー?、レオンなど数々の名作にも出演しています。
Dannyの新曲CDのプロモーション(ミュージック)ビデオで、私が担当する場面は、Dannyが歌う後ろから女優さん2人が着物を着て登場すると言う一場面での着物スタイリングでした。
そして、撮影日まで時間もなく、依頼受けてから5日後には撮影でした。
詳細打ち合わせの時に、トラディショナルな感じでなく、かなりモダンな着物の着方で、「タンゴ調に」と言っていると思ったら「フェデリコ・フェリーニ風に」などなど、ご依頼してくれた方も、イメージが固定していませんでした。バックダンスには、タンゴを踊っている人もいるとか・・・。撮影現場に行ってから、「即興で考えるしかないな」って思い、撮影当日それなりの数の着物と帯を持っていきました。
撮影は、Staten Islandと言うところでありました。マンハッタンから車で2時間、3時には出発して、夕方の5時には現場入りしました。撮影スケジュールは翌朝の5時まででした。なんとも凄い時間帯の撮影。撮影現場の家に到着すると、門をくぐると、敷地内には建物が3棟あり、庭には数々の西洋チックな銅像がならび、大きな噴水!海に面していて、家の窓から見る景色は海の水をすくえるような感じでした。豪邸でなくて宮殿!?と言った感じ。
地下室には、音響施設もあり(レコーディングも出来るそうです)、映画の撮影でもこの家はよく使われているそうです。その家のオーナーさんが、私が着物スタイリストと自己紹介すると、日本人の有名な俳優からいただいたと言う素晴らしい着物を見せてくださいました。
そして、Danny、ご本人登場!!!なんと、ご依頼してくれた方から着物スタイリストとして紹介され、Dannyと握手。そして、とってもサービス精神旺盛。撮影現場にいるカメラマンに着物を着た女優さんとご一緒に写真撮影をしようとしたので、カメラに自分がうつらないように後ろに下がったら、「君も一緒に入りなさい」と言って、一緒に写真撮影。Dannyと自分が並んで写真に写っているなんて夢のようだな・・・。
今回の撮影は、Dannyのお人柄が出ているのか、数々のハリウッド映画をプロデュースしているプロデューサーなどがご協力していました。そして、メイクやヘアセットをしているスタッフもなんと美容学校の生徒さんたち。若い人たちにも沢山のチャンスをあげようとしている姿に感動しました。
ただ、少々生意気なのかもしれませんが、撮影現場にはメイクやヘアセットする人たちがいるのは分かっていたのですが、着物に合うヘアやメイクは違うので、とても信頼しているNYでヘアアーティストとして活躍しているシンノスケさんにお願いして、撮影をご一緒していただきました。今回、シンノスケさんが突然な話を快く引き受けてくれてとてもうれしかったです。
そして、出来上がった作品はこちらです。
Dannyの新曲CDのプロモーション(ミュージック)ビデオで、私が担当する場面は、Dannyが歌う後ろから女優さん2人が着物を着て登場すると言う一場面での着物スタイリングでした。
そして、撮影日まで時間もなく、依頼受けてから5日後には撮影でした。
詳細打ち合わせの時に、トラディショナルな感じでなく、かなりモダンな着物の着方で、「タンゴ調に」と言っていると思ったら「フェデリコ・フェリーニ風に」などなど、ご依頼してくれた方も、イメージが固定していませんでした。バックダンスには、タンゴを踊っている人もいるとか・・・。撮影現場に行ってから、「即興で考えるしかないな」って思い、撮影当日それなりの数の着物と帯を持っていきました。
撮影は、Staten Islandと言うところでありました。マンハッタンから車で2時間、3時には出発して、夕方の5時には現場入りしました。撮影スケジュールは翌朝の5時まででした。なんとも凄い時間帯の撮影。撮影現場の家に到着すると、門をくぐると、敷地内には建物が3棟あり、庭には数々の西洋チックな銅像がならび、大きな噴水!海に面していて、家の窓から見る景色は海の水をすくえるような感じでした。豪邸でなくて宮殿!?と言った感じ。
地下室には、音響施設もあり(レコーディングも出来るそうです)、映画の撮影でもこの家はよく使われているそうです。その家のオーナーさんが、私が着物スタイリストと自己紹介すると、日本人の有名な俳優からいただいたと言う素晴らしい着物を見せてくださいました。
そして、Danny、ご本人登場!!!なんと、ご依頼してくれた方から着物スタイリストとして紹介され、Dannyと握手。そして、とってもサービス精神旺盛。撮影現場にいるカメラマンに着物を着た女優さんとご一緒に写真撮影をしようとしたので、カメラに自分がうつらないように後ろに下がったら、「君も一緒に入りなさい」と言って、一緒に写真撮影。Dannyと自分が並んで写真に写っているなんて夢のようだな・・・。
今回の撮影は、Dannyのお人柄が出ているのか、数々のハリウッド映画をプロデュースしているプロデューサーなどがご協力していました。そして、メイクやヘアセットをしているスタッフもなんと美容学校の生徒さんたち。若い人たちにも沢山のチャンスをあげようとしている姿に感動しました。
ただ、少々生意気なのかもしれませんが、撮影現場にはメイクやヘアセットする人たちがいるのは分かっていたのですが、着物に合うヘアやメイクは違うので、とても信頼しているNYでヘアアーティストとして活躍しているシンノスケさんにお願いして、撮影をご一緒していただきました。今回、シンノスケさんが突然な話を快く引き受けてくれてとてもうれしかったです。
一度ヘアスタイリングしたのですが、シンノスケさんと話し合って、シャワーキャップみたいにというか「クルクルして欲しい」と私が少々希望を言ったら、「映画の”そうせいじ”みたいに!」と言って、作り直してくれました。こうしたアレンジしている時ってとても楽しい!
着物を着たまま少し踊るとのことで、帯がゆらめくように、Movieに映えるよう帯は結びました。写真で見ると少々平凡ですが、きっと、動きが入ると面白い出来上がりになるかなと思いつつ・・・。
しかし・・・、なんと、私の担当する場面の撮影までに行き届かなかったというハプニングが起こりました。ご依頼してくれた方が、撮影スケジュールの確認が少しおろそかになっていて、ボランティアで参加してくれた着物を着て出演する予定の女優さんの一人が、早朝5時には、ご家庭や仕事の都合で撮影現場を出ないといけないとのことでした。
ご依頼主もボランティアで参加している女優さんに告げていた時間を超える撮影時間になってしまったことに、これ以上迷惑をかけられないとのことで、着物の場面の撮影が中止となりました。「こんなことってあるんだなー」と、ショックと言うより、呆然としてしまい・・・
撮影現場で私が魂抜けはてたように呆然としていたら、Dannyが後ろから来て、私の腕をつかんで「Sorry」と言ってくれました。Dannyが謝ることではないのにーーー!Danny、あやまらないで!!!と思いました。
Dannyは、とてもとても優しくて、人への思いやりに溢れていて、70本も映画に出演しているってこういうことなのだと胸がいっぱいになりました。
スタッフも良い方たちばかりで・・・、お互いの少しの確認不足から起こってしまったこと。仕方がないこと。
撮影現場を出るときに、家のオーナーさんが「Sorry」と言うので、クビをふって、「仕方がないことですよ。とても残念だけど、素晴らしい経験をさせてくれて感謝の気持ちでいっぱいです」と、言って、お互いに「Sorry」でなくて、「Thank you」と言って強く握手しました。
家に着いたのは、朝の7時でした。10時には着付け教室に生徒さんが来るので、少しだけ仮眠しました。 ショックが抜けないかもと思いつつ、起きたときに、なぜか、Dannyの撮影現場にいることが出来る機会に恵まれただけでも、心から感謝したい気持ちでいっぱいになっていました。
8月に、Dannyのライブがニューヨークであるので見に行こうと思いました。その時は、着物を着ていこう!
I love Danny!!!
着物を着たまま少し踊るとのことで、帯がゆらめくように、Movieに映えるよう帯は結びました。写真で見ると少々平凡ですが、きっと、動きが入ると面白い出来上がりになるかなと思いつつ・・・。
しかし・・・、なんと、私の担当する場面の撮影までに行き届かなかったというハプニングが起こりました。ご依頼してくれた方が、撮影スケジュールの確認が少しおろそかになっていて、ボランティアで参加してくれた着物を着て出演する予定の女優さんの一人が、早朝5時には、ご家庭や仕事の都合で撮影現場を出ないといけないとのことでした。
ご依頼主もボランティアで参加している女優さんに告げていた時間を超える撮影時間になってしまったことに、これ以上迷惑をかけられないとのことで、着物の場面の撮影が中止となりました。「こんなことってあるんだなー」と、ショックと言うより、呆然としてしまい・・・
撮影現場で私が魂抜けはてたように呆然としていたら、Dannyが後ろから来て、私の腕をつかんで「Sorry」と言ってくれました。Dannyが謝ることではないのにーーー!Danny、あやまらないで!!!と思いました。
Dannyは、とてもとても優しくて、人への思いやりに溢れていて、70本も映画に出演しているってこういうことなのだと胸がいっぱいになりました。
スタッフも良い方たちばかりで・・・、お互いの少しの確認不足から起こってしまったこと。仕方がないこと。
撮影現場を出るときに、家のオーナーさんが「Sorry」と言うので、クビをふって、「仕方がないことですよ。とても残念だけど、素晴らしい経験をさせてくれて感謝の気持ちでいっぱいです」と、言って、お互いに「Sorry」でなくて、「Thank you」と言って強く握手しました。
家に着いたのは、朝の7時でした。10時には着付け教室に生徒さんが来るので、少しだけ仮眠しました。 ショックが抜けないかもと思いつつ、起きたときに、なぜか、Dannyの撮影現場にいることが出来る機会に恵まれただけでも、心から感謝したい気持ちでいっぱいになっていました。
8月に、Dannyのライブがニューヨークであるので見に行こうと思いました。その時は、着物を着ていこう!
I love Danny!!!
2009年07月14日(Tue) 04時36分
先日、スペインのバルセロナに滞在していました。
建築ではガウディ、絵ではピカソ、そして、街中のいたるところで見かけるZARAというブランド。そのブランドは、1970年代にスペインのマドリッドに第1号店が出来てから、世界的にも有名になったスペイン発端のブランドです。色彩がスペインぽいと言ったら変ですが、色鮮やかです。
なぜか、その土地の風土を感じるファッションとして、沖縄の南国の色鮮やかな紅型を思い出してしまいました。
そして、その対照的にある、沖縄の織物についても考えていました。沖縄は自然があまりにも明るく豊かですが、その気候から思いつきようもイメージが出来ないような、ロウを引いたように滑らかな光沢をもつ宮古上布など繊細な美術品のような趣をもつ織物が多くあります。そして織物の宝庫です。
私が知っているものだけあげても、芭蕉布、読谷の花織、首里の手縞、琉球絣、久米島紬、宮古上布、八重山上布などなど多種多様です。
一見控えたような中に、あまりに力強い美しい織物が、なぜ出来ていったのだろうと、むかし、疑問に思ったことがありました。
それには、琉球という歴史的な背景があることをいろんな本で読みとることができます。
琉球王朝時代の絣と言えば、白絣の色物は王家の晴れ衣であったり。
絣に次いでの花織は、王家の組織で出した無地物に、色糸を入れて、夜空にきらめく星のような小柄が織られたそうです。花織には、綾と呼ぶ縞がありますが、綾は母親の美称で美しいものを意味します。
そして、宮古上布について岡部伊都子さんが「染織を歴史の証として」で書かれている中には、「琉球王府をしめあげる島津の収奪によって、重々の苛政に、先住民が重税を織物で納めていたこと。その苦役のうちにひらめく美感覚とすぐれた技術能力」などが語られています。
歴史的背景で見る織物もいろんな視点があります。
そして、私がとても共感したお話は、「沖縄では衣服はその人の身替りで、織物は霊的な存在でさえあり、美しさの基本を形造った。つむぎ織る作業は女心を織る尊いいとなみである」というお話を伺ったときでした。
時々、ふっと、思い出すこと。
私に着物の着付けや着物について教えてくれた先生は、私がお稽古に伺っていたときには既に70歳を過ぎていました。とても優しい先生でしたが、私が、着物の裾を少しだけまたいでしまったときに、「もう、お稽古に来なくていいわよ」と厳しい口調で言われたことがありました。当時は、「怒られちゃった」と言う程度にしか受け止められなかったのですが、時折、その時の先生の姿を思い出しては、それだけ着物に語り尽くせないほどの愛情を持って教えてくれていたことに、胸が熱くなることがあります。
「織る尊いいとなみ」
美を感じる中には、伝わり継承されていく、基になっている人々の心の中に生き続けているものがあるのだと思いました。

喜如嘉の芭蕉布

読谷花織
*画像は泰流社「日本の染織」より
建築ではガウディ、絵ではピカソ、そして、街中のいたるところで見かけるZARAというブランド。そのブランドは、1970年代にスペインのマドリッドに第1号店が出来てから、世界的にも有名になったスペイン発端のブランドです。色彩がスペインぽいと言ったら変ですが、色鮮やかです。
なぜか、その土地の風土を感じるファッションとして、沖縄の南国の色鮮やかな紅型を思い出してしまいました。
そして、その対照的にある、沖縄の織物についても考えていました。沖縄は自然があまりにも明るく豊かですが、その気候から思いつきようもイメージが出来ないような、ロウを引いたように滑らかな光沢をもつ宮古上布など繊細な美術品のような趣をもつ織物が多くあります。そして織物の宝庫です。
私が知っているものだけあげても、芭蕉布、読谷の花織、首里の手縞、琉球絣、久米島紬、宮古上布、八重山上布などなど多種多様です。
一見控えたような中に、あまりに力強い美しい織物が、なぜ出来ていったのだろうと、むかし、疑問に思ったことがありました。
それには、琉球という歴史的な背景があることをいろんな本で読みとることができます。
琉球王朝時代の絣と言えば、白絣の色物は王家の晴れ衣であったり。
絣に次いでの花織は、王家の組織で出した無地物に、色糸を入れて、夜空にきらめく星のような小柄が織られたそうです。花織には、綾と呼ぶ縞がありますが、綾は母親の美称で美しいものを意味します。
そして、宮古上布について岡部伊都子さんが「染織を歴史の証として」で書かれている中には、「琉球王府をしめあげる島津の収奪によって、重々の苛政に、先住民が重税を織物で納めていたこと。その苦役のうちにひらめく美感覚とすぐれた技術能力」などが語られています。
歴史的背景で見る織物もいろんな視点があります。
そして、私がとても共感したお話は、「沖縄では衣服はその人の身替りで、織物は霊的な存在でさえあり、美しさの基本を形造った。つむぎ織る作業は女心を織る尊いいとなみである」というお話を伺ったときでした。
時々、ふっと、思い出すこと。
私に着物の着付けや着物について教えてくれた先生は、私がお稽古に伺っていたときには既に70歳を過ぎていました。とても優しい先生でしたが、私が、着物の裾を少しだけまたいでしまったときに、「もう、お稽古に来なくていいわよ」と厳しい口調で言われたことがありました。当時は、「怒られちゃった」と言う程度にしか受け止められなかったのですが、時折、その時の先生の姿を思い出しては、それだけ着物に語り尽くせないほどの愛情を持って教えてくれていたことに、胸が熱くなることがあります。
「織る尊いいとなみ」
美を感じる中には、伝わり継承されていく、基になっている人々の心の中に生き続けているものがあるのだと思いました。
喜如嘉の芭蕉布
読谷花織
*画像は泰流社「日本の染織」より
2009年07月04日(Sat) 06時58分
ニューヨークで着付け教室を開いてもうすぐ一年になります。
ニューヨークで着付けを習うというのは、きっと日本の環境の中で着物の着付けを身につけるのとは違い大変なことだと思いました。日本では呉服屋さんを見つけようとすれば見つけられる、日常の生活のなかでもお店のウィンドー越しからも着物を見ていたりすることもあります。テレビをつければ、時には時代劇がながれている、街を歩いていれば時々は着物姿の人を見かけます。意識しなくても、どこかしらで着物を目にしている。常にそうした環境にかこまれた中で着物を習うのと、海外生活のなかで着物を習うことは環境があまりにも違うように思いました。
そうした中でも、出来る限り、着付けの技術だけではなく、着物の知識も自然と身につけていけるよう心がけていました。
知識をつけようということで、教科書を用意していろいろ試みたのですが、どうしても話が脱線してしまいます。
生徒さんの中にはスピルバーグ制作の「SAYURI」と言う映画を見て着物に興味を持った方が時々いらっしゃいます。私が花街のことで知っているのは、日本にいたときに周りから聞いた話ほどの知識でしかないのですが、着物の話に花柳界の話を時々加味すると「面白い」と言っていただけることが多いです。
小話
「紬」は普段着なので、花街では紬を着て男の人と二人で歩いていると、普段着で会うほど親しい仲ということを示しているということ。
「簪(かんざし)」は、簪の尖った先が女性の護身の役目をしていたこと。
京都の舞妓さんを東京では「半玉」と呼ばれています。
むかしは一つのお座敷をお線香一本が燃える時間を計ってお花代(玉代)を頂いて一人前の芸者と言われていたから、その半分の見習い芸者を半玉と言ったこと。
舞子さんの帯は6メートル以上もあって、丸帯(両面柄が入っていて)、必ず屋号が入っていること。
花街以外の話で紋について
生徒さんから、既製品の着物を買う前に、「自分の家の家紋とは違う紋が着物に入っているのですが、別の家紋の入った着物を着るのはおかしいですか?」と相談され、買うのを迷っている着物の画像を見せていただきました。
その着物についている紋が、皇室の替え紋の桐紋で(桐紋は、皇室から下賜された豊臣秀吉が愛用した紋で有名)、 桐紋は明治以降、誰でも使えるようになったから、五三の桐は庶民もこぞって使うようになり、現在でも女紋として一番使われているのではないのかと・・・
昔から必ずしも自分の家の紋が入っているわけではなかったこと。
などなど・・・
生徒さんに「帯の三大産地は?」と教科書にそった内容のお話をするより、小話をした時のほうが活き活きと話を聞いてくださいます。
基礎知識は大切だけど、着物は奥が深く、本や教科書の文字から得るだけのものではなく、その向こう側の世界が見えてこないといけないのだなって、そんな着物の世界が広がりをもてるように、お稽古中の小話も大切なような気がしました。
無駄な話も多いかもしれませんが、これからも楽しいお稽古を生徒さんにできたらと思います。
ニューヨークで着付けを習うというのは、きっと日本の環境の中で着物の着付けを身につけるのとは違い大変なことだと思いました。日本では呉服屋さんを見つけようとすれば見つけられる、日常の生活のなかでもお店のウィンドー越しからも着物を見ていたりすることもあります。テレビをつければ、時には時代劇がながれている、街を歩いていれば時々は着物姿の人を見かけます。意識しなくても、どこかしらで着物を目にしている。常にそうした環境にかこまれた中で着物を習うのと、海外生活のなかで着物を習うことは環境があまりにも違うように思いました。
そうした中でも、出来る限り、着付けの技術だけではなく、着物の知識も自然と身につけていけるよう心がけていました。
知識をつけようということで、教科書を用意していろいろ試みたのですが、どうしても話が脱線してしまいます。
生徒さんの中にはスピルバーグ制作の「SAYURI」と言う映画を見て着物に興味を持った方が時々いらっしゃいます。私が花街のことで知っているのは、日本にいたときに周りから聞いた話ほどの知識でしかないのですが、着物の話に花柳界の話を時々加味すると「面白い」と言っていただけることが多いです。
小話
「紬」は普段着なので、花街では紬を着て男の人と二人で歩いていると、普段着で会うほど親しい仲ということを示しているということ。
「簪(かんざし)」は、簪の尖った先が女性の護身の役目をしていたこと。
京都の舞妓さんを東京では「半玉」と呼ばれています。
むかしは一つのお座敷をお線香一本が燃える時間を計ってお花代(玉代)を頂いて一人前の芸者と言われていたから、その半分の見習い芸者を半玉と言ったこと。
舞子さんの帯は6メートル以上もあって、丸帯(両面柄が入っていて)、必ず屋号が入っていること。
花街以外の話で紋について
生徒さんから、既製品の着物を買う前に、「自分の家の家紋とは違う紋が着物に入っているのですが、別の家紋の入った着物を着るのはおかしいですか?」と相談され、買うのを迷っている着物の画像を見せていただきました。
その着物についている紋が、皇室の替え紋の桐紋で(桐紋は、皇室から下賜された豊臣秀吉が愛用した紋で有名)、 桐紋は明治以降、誰でも使えるようになったから、五三の桐は庶民もこぞって使うようになり、現在でも女紋として一番使われているのではないのかと・・・
昔から必ずしも自分の家の紋が入っているわけではなかったこと。
などなど・・・
生徒さんに「帯の三大産地は?」と教科書にそった内容のお話をするより、小話をした時のほうが活き活きと話を聞いてくださいます。
基礎知識は大切だけど、着物は奥が深く、本や教科書の文字から得るだけのものではなく、その向こう側の世界が見えてこないといけないのだなって、そんな着物の世界が広がりをもてるように、お稽古中の小話も大切なような気がしました。
無駄な話も多いかもしれませんが、これからも楽しいお稽古を生徒さんにできたらと思います。






